2009年2月12日木曜日

素晴らしい日本人の心に目覚めよう!

 建国記念日にちなんで感じたことです。恥ずかしながらこの年になるまで建国記念日の本来の意味すらなにもわからずにただの祝日としてしか認識していませんでした。そんな私がひょんなことから友人に誘われて古事記の勉強会に参加し、古来からの日本の心の素晴らしさに感動し、偶然の導きで葉室頼昭氏の「神道 感謝のこころ」という本に出会いこのことを多くの人に伝えたい気持ちでいっぱいになってしまいました。

以下本文より抜粋。

 日本人は古来より、人の心、ものの心といった目には見えない内面の素晴らしさに神様のお心を見てきました。しかし、そういったことを忘れ、ものの外面だけを追い求めている現在の世の中を見ていますと、これからの日本人の行く末が心配でなりません。

(中略)

 現在の日本では、残忍な事件や社会構造の腐敗など、以前には思いもよらなかったような悪いことばかりが起きています。これは、人々が形ばかりを追い求め、理屈でものごとを片付けて、ものの本質を見る心や、その心を養うことをおろそかにしてきたからではないでしょうか。

 昔の人は、「自分たちが今あるのは、神さまのおかげ」、何かをするにしても「これはご先祖様のおかげ」、何かあったら「人さまのおかげ」と、ものごとの後ろに見えない心があることを知っていて、感謝しながら日々を過ごしてきました。 この見えない「心」を知ることこそが、今の日本の社会に求められているのです。

(中略)

 病気を治してくださいとか、お金が儲かるようにしてくださいなどと、欲得ずくでお願いをしたらいけません。我欲の願いは神様に受け入れてはもらえません。ですから、今どんな状態であっても、認めたらいいのです。

「ありがとうございます」 とお参りしてみてください。生かされていることが本当にありがたいなと実感できるようになってきます。そうすることで、神様やご先祖様のお恵みが現れ、細胞が活発に活動して、健康に毎日の生活ができます。つまり、認めたものが現れてくるのです。

(中略)

ここ最近、特に不景気が回復しないために国民がこぞって不平不満をいい、テレビや新聞などで毎日不景気や倒産といった悪いニュースばかりが流れるのを見て、それが本当のことのように思って皆が暗い気持ちになってしまいます。しかし私はそうは思いません。

不景気は、神様からの私たちにたいするお知らせであり、お恵みでもあります。何も悪いことばかりではなく、そのために自然破壊が収まり、人々が働くことのありがたさを知る絶好の機会ともなっています。ですから、不景気の悪いところばかりをみるのではなく、良い面も見てそれを言葉に出すことが大事です。

 神様は、人を不幸にしようとはなさっておられません。不幸になるのは、神様の恵みを忘れ、人間が勝手に不幸だと思ってそれを口に出して言うからです。

 もういい加減に、日本人全体が本当のことに目覚め、誰もが明るい言葉を使い、生かされていることに感謝する生活を送るべきですし、またそうならなくてはならない時期にきているのではないでしょうか。

(以上抜粋終わり)

 生かされていることに感謝する、この当たり前のありがたさを分かりやすくあらゆる方面から気づかせて頂き人間の原点に立ち返らせてもらったような気がします。「ありがとうございます」と感謝の言葉を唱えることなら今すぐにでも出来ることなので早速、口に出して言っています。本当にありがたい気持ちがふつふつと湧き起こってくるので魔法の言葉みたいですね。小さなことのようですが、この理屈抜きの感謝の想いの結晶が世界平和へと導く力になるような気がしてなりません。

参考文献 「神道 感謝のこころ」 葉室頼昭 春秋社

2008年12月3日水曜日

いいこと探し、はじめませんか?

日々の暮らしのことや思ったことなど書き綴るようになってからこころの中のパイプの詰まりがとれたように、溢れだしてきた。子どもを出産してから書くという作業はほど遠いいものとなってしまい毎年、日記に挑戦してみるものの続かなかったのだが今回は珍しく書くという作業に楽しくはまっている。

書くということで思い出したのが以前、読んだ本のなかに「喜びノート」の効果について書かれてあった。あれは確か 『人間の関係』 五木寛之著 だったと思う。人間だれでもウツのような気分になるときもあると思うが、一日のなかで良かったこと、うれしかったことを探し出して書くのである。そんなことをしているうちに嫌だったこともあまり気にならなくなったりしてくるから不思議なものである。

私の場合は、すぐに「自分なんてだめだ。」と思ったり、逆に自分が正しいと思うあまりに相手の欠点ばかりが目に付いてしまい、人間関係につまずいてしまったりしてマイナス思考に陥ってしまうというお決まりのパターンから抜け出せずにいた。当然、現実もそんな状況ばかり招いてしまうし、運気も下がる一方だったわけである。しかし人間そのような、さなかにいる時はなかなか気づかぬものである。

かくいう私も「でも、わたしだって頑張っているんだから!」という自負がしっかりこびりついていたもんだから、なかなか自分を素直に省みようなどとは思わなかった。が、しかし今回自分自身と向き合って書くという作業を繰り返していると結構見えてくるものである、自分が。

そして気づいたときがチャンス!マイナスのこころのくせだって、プラスの言葉や想いに変えていけばいつかはきっと、プラスのこころのくせが身について明るく楽しい人生になるに決まっている!

だから、一日ひとつでもいい。いいこと探しをはじめよう!

今日はこのことに気づけたことが一番うれしいな!!

2008年12月2日火曜日

「海からの贈りもの」

日常生活の中で自分を見失いそうになった時や日々の雑事に疲れきってしまい不安な気持ちが襲ってきたとき、ふいに読みたくなる本がある。もう何回くらい読んだだろうか?この本との出会いは新婚旅行で北海道に行くとき、(なんと仕事の取材のついでの旅だったので)同行していた方にすすめられて借りて読んだのがきっかけだった。読むたびごとに静けさと深いやすらぎをもたらしてくれる不思議な本でした。

『問題は、「女と仕事」や「女と家庭」や「女と自立」といったようなことだけではなく、もっと根源的なこと、つまり、気を散らさなければやっていけない生活の中で、どうすれば自分自身でいること、自分であることを失わずにいられるかということ、にある。

(中略)それには、どうしたらいいのか。こうすればいい、という答えはすぐに手に入るものではない。完全な答えもない。ただ、幾つかの手がかり、そう、海辺で拾った貝のような手がかりはある。

 にし貝のシンプルで、あるがままの美しさは、わたしに教えてくれる。答えのひとつ、あるいは問題を解決するための一歩は、自分の生活を簡素にして、気を散らす幾つかを切り捨てることなのだ、と。

(中略)どれだけ多くのもので、というのではなく、どれだけ少ないものでやっていけるか。わたしの生活に、またひとつ何か・・・仕事であれ、何であれ・・・を加えたくなった時に、「それはほんとうに必要なものか?」と自分に問いかけるために。』

こんな風にして、内なる静寂の海への旅は始まるのである・・・

人生は常に、難しいこと、辛いこと、喪うこと、悲しいことを次々と突きつけつづける。

そんな時には、自分のこころの海に還る時だということを知るのだ。

『わたしたちの中心にあるものから出発すれば、外側の幾重にもなった輪の周辺にあるもの、何か価値あるものを発見できるにちがいない。

その時わたしたちは、‘‘いま” ある喜びと、‘‘ここ” にある平和と、自分の内側にも外側にもある愛を取り戻すことができるだろう。

地上の楽園とは、そういったもので創られているのであるから。』

そう、海からの贈りものとは、ただ、わたしのこころのなかに、愛が息づいているのを知ることだ。人間の暮らしのどんな痛みや苦労のなかにも、決してなくなることのない愛、が。

そんなことを思い描いていると、ゆったりとした心地よさを感じるのである。まあそうはいっても、それは束の間のこころの旅!すぐにズボラ母ちゃんはガミガミ怒鳴ってしまい、内省の旅は終わりがないのであります・・・

参考文献  「海からの贈りもの」 アン・モロウ・リンドバーグ

ある冬のこもれびの暖かな日差しの中で

まだまだたくさんありますまごいもちゃん(山芋の小芋)の皮むきにおわれる毎日になってしまいました・・寒い台所でやっていると気がめいってしまうので、暖かな日のあたるところに移動してせっせと皮むきにいそしみました。こんなに下準備に手間がかかるとなるとやっぱり敬遠されてしまう気持ちも分からなくはないがせっかくの実りの産物を捨ててしまうのはかわいそうだし、もったいない!畑作りをやってはじめてわかる野菜のありがたみというかそれらのものすべてを生かし生長させてくれている大いなる力みたいなものにも自然と感謝の気持ちが湧いてくるから余計に無駄には出来ないのだ。と思いつつ、娘の保育所の役員会にも行かなければならないし・・と日常の雑事に翻弄されまくっています。

そんな時、ふと思い出すのが「モモ」(ミヒャエル・エンデ作)。これは、時間泥棒に盗まれた時間をモモという女の子がとり返しに行く物語。時間泥棒に追われたモモが、神様のいちばんの召使であるカメのカシオペイアに導かれて時間の神様のところに行くところで、時間泥棒がモモを捕まえようと必死になって追いかけてくるのだけれど、必死になればなるほど、モモがどんどん遠くなっていく。それもそのはず、時間の神様のところにつながっている道は、ゆっくり歩けば歩くほど早く進むのですもの。そうだよな~とすぐに焦りまくってしまう私はちょっぴり恥ずかしくなる。子どもにもよく言われるのだ。「なんでそんなにいそぐの?」と。たいていは、私がイライラし始めたときに。そんなふうにただ早く、早くとやっていても楽しくないしどっどと疲れてしまうのだ。願わくば、にっこり、ゆっくり、楽しみながら歩いて行きたいものだ。

お茶がらでおいしい!ふりかけが出来ました

我が家の住んでいる地域は茶どころ。家のまわりも茶畑だらけ。新緑の季節にはおいしい新茶が頂けます。こちらに住むようになってからずいぶんお茶好きになりました。子どもらも学校にお茶を水筒に入れて持っていくので、我が家では毎日でっかいやかんいっぱいにお茶を作ります。当然、たくさんの茶殻がでてくるのだが、いつもこの茶殻を見るたびにただ生ごみにするだけではもったいない!何かに使えないものかな~と思っていて時々ほうきで掃くときに撒いて見たりもしたがどうも続かない・・・
茶殻はおいしく食べれるらしいことを知り、少し抵抗があったが試しにおいしいかどうか作ってみることにした。
<作り方>
材料 水気を切ったお茶がら(お玉1杯位)小魚なんでもよい。ごま、ごま油、砂糖、酒、みりん、しょうゆ

①お茶がらは水分を切っておく(量が少しの時はこまめに絞ってフリージング袋に入れて冷凍保存しましょう)

②フライパンにごま油を熱し、お茶がらと小魚を炒める。

③砂糖、酒、みりんを各大さじ1、しょうゆ大さじ2を入れて炒め、水分がなくなったら火を止める。ごまをかけてできあがり。冷蔵庫の中に入れて常備菜として保存しておくと便利です。

お茶を飲むだけではとれないビタミンAとEも食べることでしっかりとれる!というおまけつき。
以外や以外!!思っていたよりずっとおいしい!お茶の葉にあまがらい味が良くしみ込んでいて噛めばかむほど味わい深い!やみつきになりそうな不思議な味。子どもたちにも試食をすすめたら見た目は、え~!って感じだったけど食べてびっくり?!しっかりとりこになってしまいきれいにたいらげてしまいました。
参考文献 「エコ・エコ料理とごみゼロ生活」 早野ひさこ

2008年11月30日日曜日

この、おしりみたいなもの・・?!

我が家の末っ子うーたん(4才の女の子)は幼子らしいストレートなものの言い方がおもしろい!
先日も朝方、のんびりうーたんはのんびり、のんびりとご飯を食べてはコタツの中にもぐりこんで遊んでいるのでしびれをきらした私は「何しているの!早くしなさい!」などと毎度おなじみのセリフを言ってしまうのだが、そんなことでは全く動じないうーたんは時計を指差しながら「あの、おしりみたいなところになったら着替えるよ・・・」などというので、一瞬「?」の私。必死に時計の意味不明なおしりらしきもの?を探していると・・・あった!あった!そうそう数字の「3」を見て言っていたことがわかり爆笑!もちろん早く、早く、のイライラも一発で吹っ飛んでしまいましたよ。あっぱれ!うーたんでした。
おしりのようなもの

2008年11月28日金曜日

豆腐の他人丼 ?! 

安くて簡単、栄養とボリューム満点!おまけにヘルシーなよくばりメニューを日々手がけているズボラな私のおすすめメニューの一押しの一品でもあります!なにせ飯時になるとオバQよろしく「腹減った~」コールがずっと鳴り響くんですからさっさと作れるものでないとたまりません。
そこで登場!豆腐の他人丼。(肉なしでも他人丼?!)
<材料> 豆腐1丁、玉ねぎ、もやし、おふ、だし汁、みりん、さとう、しょうゆ、卵、あったかご飯
<作り方>
玉ねぎ1cm厚さに、豆腐は小さい角のサイコロに切る。
鍋でもフライパンでも、その中にだし汁と調味料、玉ねぎを入れて火にかける。玉ねぎに火が通ってやわらかくなったら、おふ、もやし、豆腐を加え、ひと煮立ちさせる。卵を中心から外側へ回しかける。強火に1分間かけ、火を止めてふたをして、さらに1分おいて半熟状になったら出来上がり!
*今回は肉のかわりにおふを入れましたが、肉そぼろでもおいしいです。
 もやしもたまたまあったので使いましたがなくてオッケイです。適当にあるもの野菜で作ってね。
*ちなみに同時進行でお味噌汁も!というわけで上記材料の中の豆腐、玉ねぎ、もやしを少し分けてもらってお味噌汁もらくちんに出来ちゃいます。(わかめだけ新たに追加)
分量とかはお好みに合わせて適当に・・というわけでいつもあまり表示しませんが、今回の我が家はだいたい野菜は1個ずつです。もやしは1袋。子どもらにも大好評で見事に食べつくしました。
豆腐の他人丼

こもれびのCafeにて:Art of Komorebi.Hikari 1

こもれびのCafeにて:Art of Komorebi.Hikari 1(c)Komorebi.Hikari
なんとなく、アートしちゃいましたー^^

メッセージに気づくよろこび

日常生活を営んでいるといいことも悪いこともいろんなことが起きてくる。そして起きたことの裏に隠れている「お知らせ」に気づくと、悪いことが起こる連鎖は止まるし、うれしいことは幼子のように素直に喜び「ありがとう!」と感謝の気持ちを忘れずにいれば、ますますよろこびがよろこびをつれてやってくるって本当だと思う。私は長年そのことに気づかず、いや気づいていても頭でしか分かっていなくていつまでも他人やまわりのせいなどににして怒ったり悲しんだりしていると、ますます嫌なことがだんだんと大きな苦しいことに形を変えてくるし、不満や憂鬱な気持ちでいっぱいのままで過ごしていたので、当然のごとくたくさんのトラブルが続けて起こってきた。「なぜ?自分ばかり・・・」と境遇を嘆いているだけでは何の解決にもならないし必ず同じようなことが繰り返される。そこで、大事になる前に「今、気づかなければならないことがある!」と素直に自分を見つめ直して見ると・・・(最近の自分の言動を振り返ってみる)
アルアルありましたよ、こういうことって正直あんまり見つめたくない!できれば気づかずにいってしまいたいと思うんだけど、心の中の模型がそのままあらわれてしまうのがこの世界の法則なんだから仕方がない。気づいたモン勝ち。この程度で気づいてよかった!と思うことにしようっと。
さてどんな心当たりがと言うと、一番強く感じたのが「今、与えられていること」に感謝が足りなかったこと。マイナスの言葉ばかり使い、不満いっぱいで過ごしていたこと。夫や子どもたちへの愛が足りなかったことなどなど・・かといってあまりそのことにとらわれてしまうとダメージとして残ってしまうので「このお陰で大事なことに気づけた」と感謝して淡々と気持ちを切り替えて次へと進んでいくことが大切かなと思う。嫌な気持ちはメッセージを受け取ったらもう引きずらないことだ。要は自分の気持ち次第だ!そして出来事自体に良い、悪いという感覚がなくなると、なにが起きても「すべてok!すべて丸○!すべて大丈夫!」という感覚になってとても自由な気持ちになれるだろうな。
秋の青空と桜

2008年11月27日木曜日

子どもの参観日で考えさせられたこと

今日は小学校の次男たあぼうの自由参観デー。普段ナイーブでつっぱりぼうずのたあぼうだがお母さんが行くと分かるとそわそわとうれし恥ずかしげにはにかんでみせるしぐさにグッと来てこれは行かねばという気になる。でも早速、早朝からたあぼうとけんかした。暖まるようにとけんちん汁を出したら食べるのがめんどうとつっぱねた。カチンッときて一発やらかした。あ~毎朝おなじみのパターンが繰り広げられる我が家の食卓。
気を取り直していざ出発!珍しくお父ちゃんも一緒に参上。お父ちゃんがオーバーアクションで「た~ぼ~
たあ~ぼ~」なんて声を張り上げて手を振り出したのには驚いたが、さすがのたあぼうも懸命に気づかぬふりをしていた。人権集会とかいってみんなでそれぞれの気持ちを発表し合っていた。嫌な事をされて嫌な気持ちになったという感想は多く聞かれたが、逆に人に嫌な思いをさせた事や、いじめをした人はほとんどいないという。ということは、されて嫌なことは心に残るが、自分が犯してしまった罪を感じるのには疎くすぐに忘れてしまうという事だろうか?このことの方がすごい問題なんじゃないかと感じてしまった。知らず知らずのうちに人を傷つける行為を平気でしてしまいそのことに何とも思っていない人間が増えていったらこの世界はどうなってしまうのだろうか?そうならない為にも普段から自分のありのままの気持ちを素直に伝えることが大事なような気がした。たまりにたまって爆発してからではもう遅い!夫婦間でも然り。その時に気をつけなければいけないことは相手を攻撃する言い方ではなく、必ず「わたしは・・・」と私メッセージで伝えることだと思う。

2008年11月26日水曜日

シュタイナーによる人生の7周期に学ぶ

シュタイナーは「わたしたちは35歳前後に、それまでしてきた生活上のさまざまな方法や、生き方が通用しなくなり、人生最大の危機に遭遇して、方向転換を始めることを余儀なくされる」と言っています。
また「変革を求められることは、<わたしが人として生き抜くための人生の問>に出会うことであり、それはもっとも個人的な行為によってなされるべきである。そして、わたしたちはその渦中に在る時にはそのことの意味が分からず、後にそれが正しいことであったのか、あるいは間違いであったのかということが分かるのだ」わたしは今このような時期に遭遇しており、この箇所には深い感銘を受け、ではどのように生きていったらいいのだろうか?と日々考えあぐねている。そのヒントになった言葉が「世界の意志が私自身の意志になる必要があるのです。そして、わたしは世界がわたしを求めていることを遂げるための道具になることを求められているのです。」大袈裟に聞こえるだろうか。ここでもうひとつ大事なことに気づいたのだが「0歳から7歳までの子どもたちが、人間としてこの地球上で生きるために必要な身体を作ったように、精神界に向かって歩むために、今わたしたちはわたしたちの精神をおおう身体(力)を身につけなければなりません。そのためには、わたしたちが持ち続けているさまざまなことに対する固定されたイメージ、植え込まれた知識、癖、習慣を捨てる必要がある」とシュタイナーは言っています。なるほどわたしたちは自分らしく(本来の)生きたいと願いつつ、どれほどそれらのものに縛られ自由を奪われていたことか・・・。本来進むべき道を妨げている思い込みの癖を振り捨てる勇気をもとう!そして精神の進化を辿る道を歩き始めよう!と誓うのでした。

こもれび6 

   魂の願いが湧き出ます
   行為を促す意志の力が育ちます
   人生の果実が実ります

 わたしがわたしの星を感じるとき わたしの星はわたしを見出します
 わたしがわたしの運命を感じるとき わたしの運命はわたしを見出します
 わたしがわたしの人生の目標を感じるとき わたしの人生の目標はわたしを見出すのです

 わたしの魂と大いなる世界はひとつです
 人生がわたしにとってますます困難になるとき
 人生はわたしの周囲で輝きをまし
 人生はわたしの内でさらに豊かなものになるのです
          ルドルフ・シュタイナーの詩より   
ちょっとまじめモードでした^^ 
 

湯たんぽの一石二鳥

寒くなってきました。築100年の古民家に住んでいる我が家ではお風呂が離れにあり、もちろん薪風呂なんです。この薪で暖めると水道にもお湯が出るしくみになっているのでこのときとばかり温度が下がらぬうちにあれこれとお湯を使います。その一つが湯たんぽ。寝るときにお布団が暖かいと幸せな気分になる。さて翌朝まだぬるい湯たんぽをだだ捨てるのはもったいない!何かに使えないかなぁ?と考え浮かんだのがバケツに入れて床掃除に・・・水が冷たいとついつい雑巾がけも億劫になりがちだが、ぬるま湯だったら気持ちよく出来るのがうれしい。バケツの水がたくさん汚れてくるまでやると普段怠っていたところまではかどるしきれいになってますますうれしい!もうすぐ師走。大掃除のシーズンがやってくるが1,2日おきの薪風呂の湯たんぽデーの後にささっとすませてしまえば汚れも溜め込まずにらくちんだ。ちょっとのことでハッピーな気持ちになれた朝でした。ちなみに早朝、車のフロントガラスが凍っていた時もさめた湯たんぽの湯は大活躍でした。早朝の通勤時、湯たんぽをかついで出勤する自分も笑えるけど。^^

2008年11月25日火曜日

愛がなければやかましいシンバル

ほのぼの簡単料理を楽しむ私の趣味は読書。あらゆるジャンルを読みこなす今の私がはまっている書物のひとつが聖書である。先日、聖書の中のコリント人への第1の手紙のところで、衝撃な文章に出会った。有名な「愛の章」で知られている箇所である。
「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」
いつ読んでもそんな無茶な・・・と絶句してしまう私なのだが「もし愛がなければ、わたしは無に等しい。」「もし愛がなければ、いっさいは無益である」と引用されている箇所がいつまでも心の中でこだましているのだ。日常の中でどれほどの愛を出し切っているだろうか?「人間のものさしは損得。仏さまのものさしはうそかまことか。」とあいだみつお氏の日めくりが玄関に飾ってあったが、かくいう私人生のほとんどを損得で生きてきたような気がします。人生の折り返し時点にきている私にそろそろ本物の生き方に方向転換したらどうだい?とあらゆる方面からメッセージが届いているのを感じるのである。
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2008年11月23日日曜日

まごいもカレー

まだまだたくさんあるまごいもちゃんフル回転でカレーに入れてみました。
もともとカレー王国インドでは里芋をいれているのだそうです。
作り方はじゃがいもの代わりにまごいもを入れるだけなんです。
おっと、いつもの肉代わりに入れる予定のシーチキンがない!肉もない!むむむ・・・うまみをどう出したらいいかな?よし!にんにくで行こう!山芋のとろみがいい具合についてカレールーを溶いた最後ににんにくをすって入れる。たったそれだけでも十分いける旨さです。
*まごいもとは山芋を収穫するときにたくさん出てくる小さい芋のことです。
まごいもカレーだよ

2008年11月22日土曜日

なばなの苗のあまりで・・・^^:自然食・自然料理

となりのじいやんは苗から野菜をたくさん作っている。
余った苗などおすそわけしてくれるのでとてもありがたく我が家もプチやさいづくりを楽しんでいます。先日はそれでも余ったなばなの苗を使って料理をしました。
かなり大きくなって茎が少し硬かったのでさすがに生でいただくのは無理そう・・・
そこで火を通した簡単料理を2品。

菜ばな炒め

なばなを適当な大きさに切る。
たまねぎをくし切りにして、ごま油でよく炒める。
なばなを入れてさらに炒め、塩、こしょう、しょうゆで調味する。

シンプルだけどうまい!ごま油と海の精の塩がおいしさの決め手かな。


なばなの白和え

なばなをゆでてから適当にきざむ。
水気をよく切ってからボールに入れて、水切りした豆腐とマヨネーズと塩で和える。

簡単、お手軽に出来ちゃう1品。我が家は洗い物の手間を省くため、直接器に入れて和えちゃいます。マヨネーズは子どもにも好評な味付けです。

2008年11月21日金曜日

大豆を収穫しました:心の風景:自然農、家庭菜園

大豆ってどうやって作るのかなぁ?って思っていたらとなりのじいやんが「豆粒1つずつ植えとけば芽が出てくる。ほっといても自然に育つし簡単にできるさぁ。」の一言でよし!やってみようと即決。じかまきしたら鳥さんに食べられてしまったみたいなので卵のパックをポットにして植え芽が出てきたら畑に植え替えたらうまくいきました。あとはひたすらほっとくだけのズボラぶりでしたが気ずいたら枝豆がたくさん出来ていてそれらを干してよく乾燥させ、カラカラになったら皮をむいたら大豆がでてきたのには感激!お店で見る大豆ってこうやってできるんだ~みたいな、大豆さんがとても身近に感じてしまいました。
本来、皮むきはシートをひいたりしてそこで打ちつけて豆を取り出したりするそうだが、我が家では少しということもあってか面倒ながらも一粒ずつ手で剥いて取り出しました。
11月下旬、少しずつ寒さが増してきた頃だが日中の晴れた日はぽかぽかと暖かくひなたぼっこをしながらの手仕事です。一粒ずつ豆を取り出しながらの作業は気の遠くなりそうな忍耐の要する作業に向き合いつつ「こんなことをやっていて何の益になるんだろう?」みたいなことをついつい考えてしまうが、「いやまてよ。こういった地味なことをあじわいつつ楽しんで出来たらそれだけで十分なんじゃないかな~。結果よりもプロセスそのものを楽しめるかどうかのほうが大事だよなぁ。そうじゃないとずっと忙しいままでいっちゃいそうだもんなぁ~。」なんだかいつも私のこころはざわめいて落ち着かない感じでいることが多かったのだが、そんな風にせかせかしている自分にストップをかけ大事なことに気づかせてくれた大豆作業でした。
^^
大豆を収穫しました
大豆の殻をとりまーす
大豆を軒先に干してマース^^

2008年11月20日木曜日

こもれびにであいました:心の風景:お散歩

ぽかぽかとあたたかいおてんきだったので近くの神社へお散歩にでかけました。
木々の中を歩いていると、すがすがしい気持ちがする。何だろう?この落ち着きと静けさは・・・
何だかとても清められているような気がする。日常の雑念がどこかへ行ってしまったようだ。
林の中の風景がとても神秘的にうつっている。感動的な気持ちで見入っていると突然、光が差し込んできた。うわぁ~絶景!!木々の中で光がまばゆいほど、さんさんと輝いている。
神様はこんなふうに無償で素晴らしい光を私たちにいつも与えていてくださっているのだなぁ~と素直に感じてしまった。そのことに私はいつも気づかずにいたんだなぁ。なんだか探していた宝物に出会えたような気がしてうれしかった。日々の生活の中では、ついつい悪しものやマイナスのことのほうにばかり目が行ってしまい気持ちも萎えがちだったけど、見ようとする気持ちさえあればいくらでも日常のなかに埋もれている光に出会えるような気がした。そして同じ生きるのなら光の方を見つめて生きて行きたい!と強く感じた有意義なお散歩日和の一日でした。
こもれび1

まごいもの天ぷらおいしかった~:自然食・自然料理

まごいもの天ぷら

まごいもを一口大(薄切りの方が火が通りやすい)に切る。
ころもをつけて、180度の油で揚げる。
まごいもの天ぷら

こんにゃくの天ぷら

こんにゃくを手で細かくちぎり、しょうがじょうゆで下味をつける。
ころもをつけて、180度の油で揚げる。

めっちゃうまい!からあげみたい。しょうがじょうゆがきいているかがおいしさのポイントなので下味はしっかりつけてね!
こんにゃくの天ぷら
さつまいもの天ぷら

さつまいもを5ミリくらいの厚さに切る。
ころもをつけて、180度の油で揚げる。

天ぷらの定番!これがなければ始まらない。旬のさつもいもはとても甘くておいしい。
さつまいもの天ぷら

山芋の孫芋?たくさんいただきました:自然食・自然料理

となりのじいやんから畑でたくさん収穫できた山芋にもれなくついている孫芋!をたくさんいただきました。
小さいので皮むきが大変だからと敬遠されがちな孫芋ちゃんですが、じいやんお手製のいも洗い棒?を使ってごしごしと棒を左右に動かすだけで小芋がきれいになっていくんです。
さてさて、何をつくろうかな?本日は孫芋三昧料理でございます。

孫芋の味噌煮

まごいも・だし汁・しょうゆ・さとう・みそ

  1. まごいもを一口大に切りだし汁でゆでる。
  2. まごいもに火が通ったらしょうゆ、さとう、味噌を入れて煮詰める。

まごいもの味噌煮物

まごいもとおからの炒りつけ

まごいも・おから・ひじき・にんじん・だし汁・しょうゆ・さとう・

  1. まごいもを火が通りやすいように薄切りに切り、だし汁でゆでる。
  2. にんじんをたんざく切りにして、①に入れる。
  3. 水にもどしたひじきを入れて、しょうゆ、さとうで味を調える。
  4. 最後におからを入れて炒りつけて完了。

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2008年11月19日水曜日

いりどうふ:自然食・自然料理

もめんどうふ
たまご
しょうゆ
さとう

  1. まずはとうふを水切りしておく。
  2. ①フライパンで炒りつつ水をとばす
  3. 卵をといてさとうをいれて②に流し込む
  4. ざっくりざっくりまぜながらしょうゆを入れて出来上がり。
忙しいとき、つくるのがおっくうなとき、食材がないときなど1品だけでちゃちゃっと作っちゃお。
炒り豆腐,根昆布サラダ,間引いた菜花のお漬物

干し柿つくりました:自然食・自然料理

裏の畑の小さな柿木に小さい柿のみがたくさんなりました。
なので、干し柿をつくることにしました。
スルスルッと皮をむいて、ひもを通し日当たりのいいところにつるして完了。
めんどうかなぁと思っていたけど以外と簡単にできました。
手軽に出し入れの移動ができるよう、なんと洗たく干しバサミにつるしてみました。(笑)
まあ外に出しっぱなしのままでもいいんですが、かびちゃったことがあったので・・・じいやんからは竹を割って串をつくり、串刺しの干し柿を教えてもらいました。昔ながらの伝統です。様になっていますね~

ズボラ干し柿でーす^^;
干し柿
干し柿作り 干し柿の串刺し
干し柿作り 藁(ワラ)で串柿を編む

鰹生節まぜご飯:かつおなまぶしまぜごはん:自然食・自然料理

自然食,カツオなまぶし混ぜご飯6


材料

カツオの生節(なまぶし):半分

  • 人参:1本
  • 醤油:適量
  • みりん:少々
  • 自然塩:少々
  • 砂糖:少々
  1. 人参を千切りにしてフライパンにごま油でサッサッと炒める
  2. 人参がしんなりしたらカツオ生節を手で引裂き細かくして1にいれ炒める。
  3. 酒、醤油、みりん、砂糖を大さじ1ほどいれて味を整えて完了〜♪
  4. 炊きたてのごはん、3〜4合を入れて混ぜる。

カツオ生節のだしがきいていておいし〜い^^

おかずがなくても混ぜご飯だけでいけちゃうおいしさ

こどもが大好物で、おかわり!たーっくさん。

あっという間に、ペロリでしたー。^^


自然食,カツオなまぶし混ぜご飯1
自然食,カツオなまぶし混ぜご飯2

らくらく自然食エッセイはじめました〜^^:自然食・自然料理

らくらく自然食エッセイはじめました〜^^

私が食についていろいろと考えるきっかけになったのは結婚して1日3度の食事づくりのため(当時は現代栄養学1日30品目摂取しバランスの良い食事を取ることを信じ込んでいた)1日中献立のことばかり考え続け毎日へとへとな思いでいました。
子供が生まれ離乳食が始まる頃になり(特別につくったおぼえもないが・・・)作ったものを食べなかったりするとその焦りはピークへと達し『何を食べさせて生きていけばいいのよ~?」と楽しいはずの食事の時間が生か死かの恐怖の時間へと変化。
あ~あの頃はいっつもおっかない顔して食事をしていたなぁと今さらながら反省の日々です。が、そんな私にも救いの天使が現れ・・・
息子が2才頃あいかわらずおかずはあまり食べずにご飯だけの日が続き「もう!一体、何で栄養を取ればいいのよ~?」と思っていた頃、ふと子育て支援センターで出会った1冊の本が私の食への大転換となるきっかけを与えてくれました。
その本は 『子どもレシピ』 幕内秀夫著 主婦の友社 です。
『子どもの食生活はカンタン』の文字が目に入り、えっ!!!どういうこと~???
すぐ横に ご飯、味噌汁、漬物、お茶のシンプルメニューがいともおいしそうに映っているではないか!
著者曰く、「ごはん中心の日常食をきちんととることが大事でこれさえしっかりしていれば自然とバランスがとれます。」との内容に目からウロコでした。
「ほんまにそんなんでいいんかいなぁ~?」 「今までの私の苦労はなんだったの~!」と最初は半信半疑の気持ちでいましたが、反面、「そのとうりだったらなんて楽チンなの!!もう献立のことでいちいち悩まなくてもいいじゃないの!」とストレスいっぱいの食事作りから解放されたい一心でその本を熟読しました。
そして少しずつ少しずつですが我が家の食卓も日々シンプルかされていくにつれ、肩の力もどんどん抜けていき以前ほど献立に悩むこともなくなり、らくらく自然食への一歩を踏み出しました。と同時に、食への関心は深まる一方でいろいろ調べれば調べるほど奥深く、宇宙論まで達したり、環境問題など様々なことへとつながっていき食の大切さをしみじみと感じるばかりなのです。
わたしもまだまだこれからなのですが、食に関すること、いろいろなことなど、みなさんと共有しあっていけたらなぁとおもいます。